2020年02月16日
長寿。
門松は冥途の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし――
お正月や誕生日など、表向きはめでたいことではあるが、裏を返せばそれだけ死に近づいたということ。
現在の日本は長生きを素直に寿げない奇妙な社会になった。 人生100年が珍しくない時代である。
最近、祖母が亡くなった。
認知症ではあったがそれ以外の大きな病気はなく、大往生ってやつでこの世を去った。
母親は祖母の身の回りの世話を何年もし続け、年寄りが年寄りを介護する何とも不思議な光景であった。
デイサービスやショートステイなどの助けも借りていたが、祖母の介護がメインの生活を送っていたことは間違いない。
母親には、
「お疲れ様」
と、労いの言葉をかけた。
ご近所の友人ならびに兄弟はすでにこの世を去っており、話し相手がいなく いつも寂しそうな祖母であった。
数年前に少しでも会話を楽しんでもらおうと、長々とたわいもない話をしている最中、
「あんた 誰や?」
と問われた時は、さすがにショックを隠し切れなかった。
「私は プリキュアなの」
祖母のノーリアクションと北風があれほど身に染みたことがあったであろうか。
百寿、紀寿、仙寿……。古来、100歳を迎えた高齢の人を寿ぐ言葉は様々なものがある。
これまで日本では毎年敬老の日に、総理大臣から100歳を迎えた人全員に銀杯が配られていた。
だが、いつしかその杯は純銀ではなく、銀メッキに仕様が変更された。
そうであろう、百寿者の人口が猛烈に増加しているからだ。
100歳以上の高齢者の数は老人福祉法が制定された1963年にはわずか153人。 今では10万人を超えている。
言うまでもなく、長寿、それ自体はめでたい。
でも違う角度から考えれば、医療がこれだけ進歩したという証。
葛西や舟木でなくても、医療の手を借りれば100歳というK点超えも可能な時代である。
しかしこのような極端な高齢化は、いまだかつて人類が経験したことのない社会の到来を意味するに違いない。
いまだかつてない・・・・・山田かつてないっての流行ったな。
そぅそぅ 靴だってそう、
かつて安室奈美恵が築いた「厚底ブーツ」ブームってのがあったが、今では機能性を兼ね備えた「厚底シューズ」ブームに進化しているし。
75歳以上と言われる高齢者は医療や介護を必要とし、その費用もかさんでくる。
後期高齢者層が猛烈な勢いで増えることで、現在の医療福祉制度は間違いなく崩壊する。
つまり今の医療・介護体制ではどうにも対応できない病人や要介護者が大量に発生する。
病院に行っても長蛇の列。 麺屋しらかわのレベルではない、医者に相手にしてもらえないくらいだ。
介護施設に入る順番待ちをしていれば、
どんどん具合が悪くなっていき、一人が倒れると更にもう一人。
一つ購入すると更にもう一つもらえる、ドミノピザ現象と名付けようか。
そんな医療・介護難民が日本中に溢れることも今後充分に想定できる。
100歳以上の高齢者に対して年間支払われる医療費は約120万円。
介護保険の受給者1人あたりの介護サービス費は1年で200万円。
合計して300万を超える金額が、百寿者のために支払われていることになる。
超高齢者が加速度的に増えれば、国庫にかかる負担もこれまでとは比較にならないほど大きなものになるのが明確である。
日本の高齢化率は27%。つまり4人に1人が高齢者。2050年には2.5人に1人が高齢者になる。
クイズ番組 99人の壁で例えるのならば、挑戦者を囲むブロッカーの40人は爺様と婆様になるということである。
これからは【60代=若者】 として扱われる時代になるだろう。
60~70歳が社会の中心に立ってバリバリ働き、70歳を超えた人が100歳以上の人の面倒をみる。
鈴木その子や野村幸代風なおばさまが高齢ファッションモデルとなり、
若者ファッション雑誌「エッグ」に対抗した、高齢ファッション雑誌「チキン」とか販売されるかもしれない。
ここで一つ疑問が出てくる。
認知症や脳梗塞の後遺症が進んで動くこともできず、胃ろうで栄養を取りながら日常を送られている方も少なくない。
このような形で100歳を超えて生きることは、果たして医療の正しい形なのかということだ。
祖母は90歳を超えた頃、「早くお迎えが来ないものかね」と嘆いていた。
いずれにせよ、100年生きることが珍しくない時代が到来して、健康の概念や国の福祉制度は大きく変わっていかざるをえないだろう。
これからは 「年をとったら国が何とかしてくれるだろう」 なんて考えることがそもそもの間違いだ。
自分の暮らしは自分で責任を持つ、そう考えるしかない。
20年後~30年後、自分や家族が100歳になるほど長生きしていたら、その暮らしに責任を持って、長寿を心から祝うことができるだろうか?
それは、単に長生きするよりもずっと難しい課題かもしれない。
お正月や誕生日など、表向きはめでたいことではあるが、裏を返せばそれだけ死に近づいたということ。
現在の日本は長生きを素直に寿げない奇妙な社会になった。 人生100年が珍しくない時代である。
最近、祖母が亡くなった。
認知症ではあったがそれ以外の大きな病気はなく、大往生ってやつでこの世を去った。
母親は祖母の身の回りの世話を何年もし続け、年寄りが年寄りを介護する何とも不思議な光景であった。
デイサービスやショートステイなどの助けも借りていたが、祖母の介護がメインの生活を送っていたことは間違いない。
母親には、
「お疲れ様」
と、労いの言葉をかけた。
ご近所の友人ならびに兄弟はすでにこの世を去っており、話し相手がいなく いつも寂しそうな祖母であった。
数年前に少しでも会話を楽しんでもらおうと、長々とたわいもない話をしている最中、
「あんた 誰や?」
と問われた時は、さすがにショックを隠し切れなかった。
「私は プリキュアなの」
祖母のノーリアクションと北風があれほど身に染みたことがあったであろうか。
百寿、紀寿、仙寿……。古来、100歳を迎えた高齢の人を寿ぐ言葉は様々なものがある。
これまで日本では毎年敬老の日に、総理大臣から100歳を迎えた人全員に銀杯が配られていた。
だが、いつしかその杯は純銀ではなく、銀メッキに仕様が変更された。
そうであろう、百寿者の人口が猛烈に増加しているからだ。
100歳以上の高齢者の数は老人福祉法が制定された1963年にはわずか153人。 今では10万人を超えている。
言うまでもなく、長寿、それ自体はめでたい。
でも違う角度から考えれば、医療がこれだけ進歩したという証。
葛西や舟木でなくても、医療の手を借りれば100歳というK点超えも可能な時代である。
しかしこのような極端な高齢化は、いまだかつて人類が経験したことのない社会の到来を意味するに違いない。
いまだかつてない・・・・・山田かつてないっての流行ったな。
そぅそぅ 靴だってそう、
かつて安室奈美恵が築いた「厚底ブーツ」ブームってのがあったが、今では機能性を兼ね備えた「厚底シューズ」ブームに進化しているし。
75歳以上と言われる高齢者は医療や介護を必要とし、その費用もかさんでくる。
後期高齢者層が猛烈な勢いで増えることで、現在の医療福祉制度は間違いなく崩壊する。
つまり今の医療・介護体制ではどうにも対応できない病人や要介護者が大量に発生する。
病院に行っても長蛇の列。 麺屋しらかわのレベルではない、医者に相手にしてもらえないくらいだ。
介護施設に入る順番待ちをしていれば、
どんどん具合が悪くなっていき、一人が倒れると更にもう一人。
一つ購入すると更にもう一つもらえる、ドミノピザ現象と名付けようか。
そんな医療・介護難民が日本中に溢れることも今後充分に想定できる。
100歳以上の高齢者に対して年間支払われる医療費は約120万円。
介護保険の受給者1人あたりの介護サービス費は1年で200万円。
合計して300万を超える金額が、百寿者のために支払われていることになる。
超高齢者が加速度的に増えれば、国庫にかかる負担もこれまでとは比較にならないほど大きなものになるのが明確である。
日本の高齢化率は27%。つまり4人に1人が高齢者。2050年には2.5人に1人が高齢者になる。
クイズ番組 99人の壁で例えるのならば、挑戦者を囲むブロッカーの40人は爺様と婆様になるということである。
これからは【60代=若者】 として扱われる時代になるだろう。
60~70歳が社会の中心に立ってバリバリ働き、70歳を超えた人が100歳以上の人の面倒をみる。
鈴木その子や野村幸代風なおばさまが高齢ファッションモデルとなり、
若者ファッション雑誌「エッグ」に対抗した、高齢ファッション雑誌「チキン」とか販売されるかもしれない。
ここで一つ疑問が出てくる。
認知症や脳梗塞の後遺症が進んで動くこともできず、胃ろうで栄養を取りながら日常を送られている方も少なくない。
このような形で100歳を超えて生きることは、果たして医療の正しい形なのかということだ。
祖母は90歳を超えた頃、「早くお迎えが来ないものかね」と嘆いていた。
いずれにせよ、100年生きることが珍しくない時代が到来して、健康の概念や国の福祉制度は大きく変わっていかざるをえないだろう。
これからは 「年をとったら国が何とかしてくれるだろう」 なんて考えることがそもそもの間違いだ。
自分の暮らしは自分で責任を持つ、そう考えるしかない。
20年後~30年後、自分や家族が100歳になるほど長生きしていたら、その暮らしに責任を持って、長寿を心から祝うことができるだろうか?
それは、単に長生きするよりもずっと難しい課題かもしれない。
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Posted by ノリノリ at 22:15│Comments(0)